健康アラカルト(101)国家の医師、後藤新平の話

aracarte101

今年に入り、新型コロナの嵐が世界中を吹き荒れている。その中で,コロナをほぼ制圧している数少ない国の1つが台湾である。その台湾でコロナ対策トップの人物から、「日本には台湾の公衆衛生の基礎を作ったあの後藤新平はいないのか?」と言わしめた後藤新平という人物をご存じだろうか?

1857年、現在の岩手県に生まれ、若干24才で愛知県医学校(現名古屋大学医学部)の病院長になった。暴漢に襲われた板垣退助を治療したのも彼である。日清戦争後、23万人もいた帰還兵に対し徹底した検疫を行い、国内への病原菌持ち込みを未然に防ぎ諸外国を驚かせた。さすが新平!国民をしんぺ(・・・)(ぱ)()させなかったのは、お見事!

明治31年、第4代台湾総督児玉源太郎の片腕として、台湾に着任。当時、台湾はゲリラが跋扈(ばっこ)アヘンも蔓延(まんえん)し治安も衛生状態も最悪で、清国も見放した島だった。後藤は、生物学の原則に(のっと)り病人を健康体にする方法で、台湾の風習や住民を尊重した上で、次々と大胆な政策を行った。予防接種を義務化し、上下水道の敷設を行い、伝染病の予防に寄与した。教育の充実を図り、医学校の創設も行い医療レベルを飛躍的に向上させた。また、人口と土地の調査を行い租税徴収の基盤を整備、鉄道、港、河川等の整備も行い、銀行を設立し貨幣を統一した。在籍した8年間で、あらゆる産業の基礎を作り、農業その他の産業を飛躍的に発展させ、治安を安定させた。台湾では、いまでも後藤を「近代化の父」と呼んでいる。

さらに、大正12年に発生した関東大震災では、復興院総裁として見事な指揮を執り、救済と復興を成し遂げ、日本を救った。国家の医師といわれる所以である。

今の日本に、このような見識と胆力を持った人物はいないものか!
マスク2枚と奥さんすらアンダーコントロールできないアベッチでは、か・な・り・やべっち!