2022年9月1日
院長 大石 孝

梅の木は中国原産で、奈良時代にはすでに記録が残っており、当初は観賞用として広まった。当時は、花見といえば桜ではなく梅を愛でることであり、万葉集には梅にまつわる歌が百首以上も残されている。また、平安時代、菅原道真が太宰府に左遷される時に詠んだ短歌「東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅の花 主(あるじ)なしとて 春を忘るな」はよく知られた梅の歌である。
梅干という言葉が初めて登場するのも平安時代である。村上天皇が梅干と昆布茶で病を治したという言い伝えがあり、これが元旦に飲む縁起物の「福茶」の起源とされている。戦国時代になると梅干は保存食としてだけではなく、傷の消毒、戦場での食中毒や伝染病の予防になくてはならないものとして、大変重宝された。 江戸時代になると、現在の梅干とほぼ同じ作り方となり、庶民の食卓にも梅干がのぼるようになった。また、梅干の紫蘇漬け(赤く着色する)が普及し始めたのもこの頃である。
和歌山県(紀州)は梅干の大生産地で、南高梅と呼ばれる品種のウメを用いた梅干が有名である。梅干は、6月頃に収穫する熟したウメを塩漬けにした後、3日程天日に干し、その後本漬けしたものが伝統的な梅干である。梅干に含まれるクエン酸は、疲労防止、疲労回復、スタミナ保持の効果がある。また、抗菌・防腐の効能があり、昔から弁当やおむすびに梅干を入れている。江戸末期から明治初期のコレラ流行時にも梅干が役に立った。最近では、梅干にコロナウイルスの増殖抑制効果があるという研究もでてきた。梅干は日本人にはなくてはならないうめ~ものである。ただし、梅の実に含まれる青酸配糖体は胃腸で加水分解されると猛毒の青酸を生成するため、多量に食べると青酸中毒になるので要注意。
ここで、恐れ多くも菅原道真に習い、狂歌を一首。
「吹きまくる 教会の嵐 なんのその 支持はなしとて 自民変わらず」注:教会とは旧統一教会のこと