江戸時代に、地震や噴火が連動して起こったことはご存じだろうか?
1703年、現在の東京、千葉、神奈川でマグニチュード(M)8.0、震度7の地震(元禄地震)が起き、死者は1万人を超えた。4年後の1707年に駿河湾から四国沖までの広範囲にM8.6、震度7の地震(宝永地震、いわゆる南海トラフ地震)が起きた。死者は 2万人以上となった。
その49日後に富士山が噴火(宝永大噴火)した。その約150年後の安政の世に、再びM8.4の南海トラフ地震が起き、翌年、M7.0の直下型地震が江戸に起きた。
現代で同じことが起こると、その被害は想像を絶する。埋め立て地や軟弱な土地では液状化が起こり、道路、家屋は破壊される。木造密集地帯では、火災が同時多発し、多くの家屋が焼失する。消防車や救急車を要請しても、電話が繋がらない、繋がっても道路の寸断で駆けつけることが出来ない。停電、断水が起こる。スマホが使えず、家族知人と連絡が取れなくなる。鉄道・飛行機の運行が停止し、道路交通網も至る所で遮断される。医療機関へのアクセスも困難になる。帰宅困難者が続出する。沿岸地域では津波が起こる。港が破壊され、物流がストップし、物資不足が起こる。このようなことは想定したくないが、地震列島日本では地震や噴火は必ず来る。今の科学ではそれがいつかを予知できないだけである。
対策は、予め家族内で避難場所、連絡方法を決めておく、薬を1週間分は持っておく、3日分の水・ 非常食・生活必需品と懐中電灯、携帯ラジオ、簡易トイレ等を確保しておくことくらいは、やっておきたいところである。 9月1日は防災の日である。
では、今月の標語
「天災は 忘れなくても やってくる」
「気を付けよう 甘い予測と 備えなし」