健康アラカルト(43) シーボルト伝記

2010年 9月1日
院長 大石 孝

今回は、江戸時代後期に来日し、医学を始め、植物学、動物学にも多大な影響を与え、また、ヨーロッパに日本の文化を紹介した人物・シーボルトの話。

シーボルトは、ドイツのヴュルツブルクで生まれ、オランダ東インド会社の医師として、1823年弱冠27歳で来日。長崎で鳴滝塾を開設し、多くの日本人医師に当時最新の西洋医学を講義し、臨床実習を行った。また、江戸参府の際、各地の植物や地理、天文、風俗を観察収集した。

持ち出し禁止の日本地図等を所蔵したことが発覚して起こった、いわゆる「シーボルト事件」により、1829年国外追放となった。帰国後、「日本」という著書をまとめ、日本学の祖となり、あのアメリカのペリー提督にも日本の資料を提供したといわれている。

なお、在日中、日本人女性お滝との間に生まれた娘が、後の本邦初の産婦人科女医「楠本イネ」である。

さて、当時18歳のお滝のハートをどうやって射止めたか?

「タッキー、君の瞳は1万ボルトの輝きだね。」

「じゃ、貴方のは?」

「僕のはせいぜい4(シー)ボルト・・・。」