2018年 9月 1日
院長 大石 孝
インカ帝国は、13~16世紀にかけて繁栄した、アンデス山脈沿いの南北4000kmに及ぶ、現在の南米ペルーを中心とした広大な大帝国であり、最盛期には人口600万を有した。有名な遺跡として、標高2500mの高地に作られたマチュピチュ都市がある。
1533年、スペインから来たピサロは、あっという間に、インカ帝国を滅ぼしてしまった。
なぜ、そんなことが起きたのか?確かに、スペイン側は、鉄砲や鉄製の剣があり、鉄製の鎧かぶとをつけ、馬もあった。それに対し、インカ人は木、石、青銅製の棍棒しかなく、馬もなかった。言語はあったが、文字がなく、ヨーロッパの情報を知らなかった。ピサロは、8万人もの兵隊に守られた皇帝アタワルパと会見した際、たった百数十名の兵隊で、皇帝をすぐさま捕虜にし、インカ人を数千人殺してしまった。それでイインカ、なんて言っている場合ではない。実は、インカでは、少し前にスペイン人がもたらした天然痘が大流行し、全体の人口が激減し、皇帝までもが2代に渡り天然痘で死亡したため、その後、皇帝の座をめぐって、内戦が起こり、ようやくアタワルパが皇帝になったばかりであった。たかが感染症と侮るなかれ、新大陸が発見された当時、南北アメリカ大陸には2000万人の先住民がいたが、その後200年間で、人口が100万人に激減した。その原因の多くが、天然痘やインフルエンザ、チフス、麻疹など、ヨーロッパから持ち込まれた感染症によるものであった。先住民達には免疫がなかったのである。歴史を紐解くと、いかんせん、感染症が少なからぬ役割を果たしていることに気づく。感染症、恐るべし!
ピサロのその後であるが、征服したわずか4年後に、母国スペイン国王から、アタワルパを無実の罪で処刑したとして、死刑を宣告された。
これがほんとのインカ(因果)応酬かも、・・・なんちゃって。