コーヒータイム(17)ご飯

2014年10月1日
アドバイザー 加藤 洋男

虫の声が賑やかになると、ご飯がおいしい季節になる。
私たちがご飯を食べるのは、お腹を満たすだけでなく、家族や仲間などと会話を通じて和やかな関係を作っていく。これは動物が“餌”を食べるのとは訳が違う。

現代社会では一人で食べざるを得ない状況が多くなったが、3食の内1食でも複数で食べることが望ましいことではないかと思う。

台湾では、「おはよう」「こんにちは」の後、「ご飯食べた?」と聞かれ、「お腹一杯食べました」と答えるそうだ。昔はひもじさがベースにあったが、現在は楽しく素敵な食事を楽しむという意味があるようで、人が集まれば「食べに行こう」という話になるほど、食を重要だと考えているという。

私の母が意識も余り明確でなくなった晩年、施設に見舞いに行くと必ず言うのは「ご飯食べた?」だった。「食べたよ」と返すと“すーっと”安心した表情をした。

母のそれは挨拶ではなく、戦後の食糧難で苦労した思いと、最大のもてなしがご飯で、それが出来なくなった自身の残念さがあいまって、年を重ねた我が子に対しても、ご飯が気になったのだろうか。

ご飯に関して不思議なのは、“家庭料理はなぜ飽きないか?”ということである。どんな立派な内容で、かつ美味なレストランのご飯や、高価なデパ地下弁当でも、これが続くと必ず飽きてくる。 ところが家庭の料理は、ほぼ毎日のように食べているが飽きるということはない。

なぜなのだろうか。誰に聞いてもなかなか納得のいく回答が得られない。
昨今は忙しい家庭が多いせいか、コンビニやスーパーの惣菜や弁当が繁盛している。それぞれの家庭で代々受け継がれた「おふくろの味」「家庭の味」がなくなりつつあるのは、寂しいような気がする。

和食は健康によいと言われ、日本人の食文化がユネスコの無形文化遺産に登録されるなど世界的評価を得ている。こういう環境にいる私たちは恵まれている。
“医食同源”。専門家の指導をもとに、個人の嗜好や健康状態に合わせた食事を、家族で楽しみながら継続したいものである。

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