コーヒータイム(28) 紙

2016年8月1日
アドバイザー 加藤 洋男

リフォームを機にレコード、紙類を中心に荷物の大整理を行った。
レコードは若かりし頃の想い出のものだ。1980年初にCDが世に出たが、CDを初めて買ったのはリムスキー・コルサコフの「シエラザート」だった。ヴァイオリンソロが主題を奏でるこの曲にあってその繊細な音がコンサート会場で直接聴いていると錯覚するかのようで、その衝撃は今でも記憶に鮮明だ。
その時にレコードの限界を知り、以降レコードは完全にCDの陰に隠れて長い間陽の 目をみなかったが、このたび漸く廃棄処分とした。最近一部にレコードの音の温かみな どが再評価されてはいるものの、いずれは再生不可能の運命にあるものと思う。またCD もさらに進歩したハイレゾの時代に入りつつあり、いずれ次世代の音楽メディアにとっ てかわられ、レコードと同じ運命を辿るであろうと思われる。

 

紙類には、手紙、書類、書籍、写真などがあるが、これを整理するのは誠に時間がかかる。理由はそれらを読み返して、想い出に浸ってしまうことによる。捨てるか残すかの判断基準は、当該者が世にいなくなった時、その子供たちに迷惑がかかるか否かだと言われるが、なかなか割り切れないものがある。
これらを整理するには、電子ファイルやメモリーカードなどに記録してコンパクトに保管する方法があるが、そこまでには至らない。そもそも、いろいろな記憶媒体に保存するのはよいが、再生機器の飛躍的な進歩で、レコード同様に再生不可能になる恐れはないかという疑問も残る。まあ一般家庭を対象としたものは100年単位で使用可能であり問題はないと思われるが、これが国の歴史という1000年、2000年というスパンで考えるとそうはいかない。今でもいにしえを知るのは、古代ではパピルス、粘土、木簡などで、その後は紀元前2世紀ころ発明され日本には610年ごろ伝わったと言われる紙である。紙は保存さえきちんとしていれば永遠に生き延びる。
今後どのような技術進歩があるか分からないが、歴史という長いスパンで考えると結局は「紙」に頼るしか方法がないように思う。

物事の大半のものが時代とともに変革を遂げていくが、一方でどんな世になっても変わらないもの、変えられないこともあるように思う。身体の管理はどんな時代になろうと、規則正しい生活、適切な食事、適当な運動が基本であることには変わらないものと思う。

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