コーヒータイム(30) 方言

2016年12月1日
アドバイザー 加藤 洋男

11月初めに山形を旅した。最上川の船下りから眺める紅葉は見事であったが、一番の印象は、温かい心とゆったりとした時の流れであった。路線バスの乗客はお馴染みさんが多いせいか、降りる時はバス停に着いてからゆっくりカバンを背負って、定期券をやおら出す。私たちが日常経験している2倍はゆうに時間がかかる。それでも運転手さんはやさしい声で「ご苦労さん」。こちらまで日頃忘れがちな穏やかな気分になる。尋ねた場所々々、会う人々がそれぞれに温かいし、若干の訛りがそれに輪をかける。

方言には単語自体の異なるもの、イントネーションの異なるもの、訛るもの等々いろいろある。全国47都道府県かつ同じ県でも地域で異なる方言があり、その数は知れない。薩摩弁のように幕府の隠密侵入を防ぐため中央とは全く異なる言葉を意図的に作ったというものは、他県人は当然分からない。
以下はほんの一例。単語が違う例は、福岡は“片づける”ことを”なおす“という。上司から「これなおしておいて」とファイルを渡された部下が、ファイルのどこを修理するのか真剣に悩んだという。群馬では“走る”ことを“とぶ”という。「俺は今とんできた」と言うものの、足が速くない御仁が言うので「???」。
音韻がひっくり返るケースは、福島と栃木の一部では“い”と“え”が逆になる。 「消防団員」が「消防団エン」、「閻魔様」が「イン魔様」で少々しまらないがのどかな感じもする。この地方の「チイコさん」はもしかしたら親は「チエコさん」と名付けたつもりだったかも知れない。
地方ばかりではない。生粋の江戸っ子は“ひ”と“し”が逆になる。「白井さん」は「ヒライさん」、「平井さん」は「シライさん」で、誰を指しているのか分からない。ワープロ入力までひっくり返るから、いくら変換しても文字が出て来ないという、うそのような本当の話がある。福岡と大分の一部では“せ“が“しぇ”で「世界情勢」が「シェカイジョウシェイ」となり、なんとなく世界が平和な感じがする。
故郷へ帰る汽車に乗ったら、その車両丸ごとお国言葉で、心地よく帰郷した経験がある方もいよう。方言は基本的に温かい。これも文化の一つであり存続して欲しいものだ。

興味を深めて調べることは脳の老化を防ぐと言われる。いろいろな機会をとらえて、方言を紐解くこともよいのかも知れない。

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