コーヒータイム(32) 青春

2017年4月1日
アドバイザー 加藤 洋男

「青春」が最近の社会で瀕死のことばであるとの記事があった。「青春」と名のつくものは、小説では「青春の門」、歌では「青春時代」、テレビでは「青春とはなんだ」、映画では「愛と青春の旅立ち」などがパッと頭に浮かぶが、これらは既に半世紀を過ぎたものもある。比較的新しいと思っていた「青春18きっぷ」も30年以上前に若者向けに発売された格安切符で、最近は若者でなく、熟年世代が第二の青春に利用しているらしい。
そう言われてみると、確かに青春の文字をあまり見ない。青春のシンボルである”ニキビ顔”も最近あまり見ない。現代でも若者の90%以上が経験すると言われており、ニキビ自体は存在しているので当世の若者は清潔でお手入れが行き届いているからだろうか。

青色は季節の春を示す。これが転じて人の一生の中で若く元気な時代の青年時代を指すことばが青春で、その時期については明確な定義はないが、一般的には13歳から19歳あたりまでで結構範囲が広い。夏は朱、秋は白、冬は玄(黒)で、これらは忘れられつつあるが、春の青まで忘れられようとしているとは全く気が付かなかった。
時の世相や、個人ごとの環境などにより、その想い出は悲喜交々(ひきこもごも)だろうが、人生の中で最も多感な青春時代は誰にも等しくあった。その時代に親しんだ小説、歌、映画などの影響も加わって人格形成の礎を築く大切な時期であると思うが、そのことばが失われつつあるのは寂しい。

春は新たに社会人になる諸君を輩出する時期でもある。若者の代名詞に”青臭い”や”青二才”がある。これらのことばは若者を上から目線で称しているが、”青二才”と言われる人が”青臭い”と言われる意見を述べることは恥ずかしいことではない。むしろ大いに結構である。社会に新鮮で爽やかな空気が入ることが必要であり、先輩諸氏はそれに対して余裕を以って聞ける懐の深さが大切と思う。

現役を卒業した人も、いつまでも心身ともに若くありたいものである。青春時代に戻れずともそこに想いを致すことで力を得ることが出来ると言われる。いつの時代も同窓会が活発に行われるが、それは遠い過去となった青春の想い出に浸るだけでなく、あの頃のエネルギーが蘇り、明日からの生活を活性化することが出来るのが最大の理由ではないかと思う。若者と接する機会を作り、こちらから溶け込んで意見に耳を傾ける努力をしていくことも若さを保つ秘訣かも知れない。 時は春! 青春を想い起こそう。

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