コーヒータイム(39) ルーツ

2018年6月1日
アドバイザー 加藤 洋男

テレビ番組で、有名人のルーツを探す「ファミリーヒストリー」なる番組がある。
手がかりが希薄な状況でも曾祖父母にまでも遡って、その人物像を描き出す努力はいかばかりかと思う。またそれに加えて役所、学校、郷土史館などの100年前にも及ぶ資料をキチンと保存している実態にも恐れ入る。

それに刺激された訳ではないが、亡き母の実家の場所を尋ねてみた。懐かしさに加え我が歳を考えて、もう行く機会があまりないこと、そして何より幼い頃の記憶がどの程度確かなのかを試したい気もあった。
その地は海抜350メートル程度の山の台地で、昔は30戸程度の集落があったように記憶している。今のように車社会ではないので麓のバス停で降りて、1時間はかかる坂道を母に手を引かれて歩いた。そこでお茶栽培と乳牛飼育を生業としていたが、その昔は旅籠をしていたとのことで、大きな台所がその面影を残していた。いつ頃なぜそこに住み着いたかは全く分からない。母の8人の兄弟姉妹もいない現在、ルーツは知る由もない。
祖母は早世したため知らず、祖父がいつもデンと座ってキセルで刻みタバコをくゆらせていた。その祖父が亡くなった時、母の姉妹が棺にすがって泣くのを見て、私は初めて遭遇した死に対してその何たるかを認識した。当時は土葬で、墓を掘り返していたら、祖母の骨が出てきて「これでまた一緒になれる」と大人が言っていた記憶は鮮明だ。

現在は山の頂上までバスが通じるようになったが、乗客は私たちだけで、この先が思いやられる。集落の各家は殆どが空き家で地元の人にも全く会わなかった。集落唯一の井戸は見当たらずその跡形も分からず、先述の墓地はゴルフ場と化していた。道の曲がりや坂はほぼ記憶どおりで一安心した。東山魁夷の出世作「残照」のモデルとなった頂上から見える山並みの重なりの美しさは変わらなかったが、車が走っているのが見えて一気に現実に戻ってしまった。1947年の作だそうで私が母と訪れていた頃の作品であると思うと感慨深いものがあった。
温故知新とはいかなかったが、ほのぼのとした気分を味わえた一日であった。

記憶を蘇らせてそれを辿って散策することは、頭と足の訓練に多少の効果があることを願い、次はどこへ行こうか思案中である。

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