2018年10月1日
アドバイザー 加藤 洋男
今年も台風により、多くの被害がもたらされた。地球にとってみれば一つの現象にすぎないこととは思うが、私たちにとっては時として大災害となる。
いつも大自然の前で人間の無力さが浮き出されるが、最近はいままでの「想定」では済まされない事象が多い。
それに伴ってでもないと思うが、台風に関する言葉のいくつかが聞かれなくなった。例えば「台風一過」「二百十日」「台風銀座」などである。
「台風一過」は台風が通り過ぎると空が晴れ渡って良い天気になってホッとしたものだが、最近は台風が去っても前線の影響などで風や雨も多くてすっきりしない。
襲来時期は「二百十日」として、立春から起算して210日の9月初旬が多かったようだが、このところは7月・8月にも多く発生して意味が薄れてきたのかも知れない。
通り道も今年の12号のように東から西へ移動するような、従来では考えられないことが起きている。
日本では「台風」だが、熱帯低気圧の発生地域と最大風速などの基準の違いで呼び名も異なり、主にアメリカを襲うものは「ハリケーン」、南米・アフリカ・オーストラリアなどでは「サイクロン」と呼ばれているが、それぞれが大きな災害をもたらせている。
日本付近の台風は年間20数個だそうだが、ヨーロッパでは台風は稀という。熱帯低気圧が発生することがないことによるようでうらやましい。
ところで政府は来年度から革新的な技術開発を進めるため、10~20年後の開発テーマ「人々の関心を引き付ける斬新で野心的目標」として、その一つの例に”台風の洋上の進路を操作して日本上陸を回避する”技術があげられた。”上陸を回避する”ことは私たちには結構なことだが、どこへもっていくのだろうか。規模を小さくするとか、発生自体をコントロールするとかであればよいのだが。
天は大きな恵みを与えてくれるが、時として脅威にも変わることがある。畏怖の気持ちで備えをしなければならない。 人間の身体も同様でいつ何が起こるか分からない。私たちの力は小さいが、日頃から出来うる限りの備えをして天命を待つということに尽きるのだと思う。