2019年10月1日
アドバイザー 加藤 洋男
四季があって季節によって天気や気温が変化する日本では、季節ごとに衣類などを替えてきた。衣替えは平安時代から始まり、当時は貴族社会だけの習慣だったようだ。
一般人にも等しくこの風習が根付いたのは江戸時代からのようで、明治維新以降は時期も新暦で6月と10月に定められ、当初は役人や軍人の制服だったのが学生や一般人にも定着したと言われる。
私が高校生の頃、汽車通学(当時は電化されていなく、汽車とディーゼル車だったので”汽車通”と言っていた)をしていたが、乗っている大半が高校生で、6月の衣替えでは車内が黒から白に一斉に変わり、何となく気分が華やいだ記憶がある。とはいえ、6月は梅雨寒で、着替えた途端に寒い思いをしたことも結構あった。
古来は、衣替えには厄払いの意味もあったようだが、この習慣を通して、何か月間かお世話になった衣類をきれいに洗濯して虫よけ剤を入れて収納したり、このシーズンを利用して断捨離をし整理整頓の機会とした。除虫剤のない頃は虫干しをしたが、これは衣類に限らず、本や書画や調度品まで虫干しをして湿気や虫を追い出した。ことほど左様に衣替えは年中行事の大切な意味を持っていた。
ところが最近は”衣替え”の様子が変化している。そもそも気候に合わせた風習だが、気候そのものが随分と変わってきている。春と秋の期間が短くなっていたり、季節外れの温度上昇や台風などなどで四季のけじめがなくなりつつある。加えて夏場の電車には冷房が利きすぎて寒い時もある。そのせいか夏場に襟巻をする女性も見かける。
一方、衣服に対する観念の変化も著しい。個性豊かな表現が一般的になるとともに、年間を通して使用できる洋服の普及や、極端には低価格帯服の社会浸透による使い捨て感覚で、ワンシーズンしか着用せずに処分する人もいるという。海外旅行用の使い捨て紙下着までは理解の範疇だが、衣服全体にまで及んでいる実態は驚きである。
現在でも学生の間には衣替えの習慣はあるものの、変える期間が長くなり”一斉”の概念はない。
私たちも、これまでに経験した季節感が参考にならない昨今の気象変化の激しさに付いていくのに苦労するが、固定観念にこだわらず時宜に合わせて対応する柔軟性と合わせ、生活にけじめをつけて気分を一新することも大切と思う。