2021年 6月1日
アドバイザー 加藤 洋男
ニュースや新聞などで地名に接することは多いが、馴染みがなく聞いたこともない地名が結構ある。その大半は市町村の合併による地名変更によるものだ。
合併そのものは1888年(明治21年)、昭和30年代前半の大合併が行われたが、近くは1999年(平成11年)から2010年(平成22年)にかけて行われた平成の大合併で、3,232の市町村が1,727になった。合併は広域化して行政の効率化を目的としたもので、それはそれで意味があると思うが、それにより古き時代からの故事来歴があり現代にも伝わるその地名が消えることは寂しい。
ところが新しい地名をどうするかは、旧市町村の力関係も相まって結構大変な様子が窺われるものが多い。群馬県のみどり市や栃木県のさくら市などはゼロからのスタート台にたって目指すべき理想郷を市名にしたものかも知れない。茨城県の小美玉市は平等を旨としたのか旧小川町・美野里町・玉里村の頭を一字ずつとって新しい地名を作った。千葉県では旧郡名を市名にした山武市、香取市などが出来たが、伊能忠敬の旧家と水郷で有名な佐原市の名称は消えた。また、南房総市という聞き慣れない市名は房総半島の南ということは分かるが、旧千倉町や富浦町などが合併したものと漸く認識した。
因みに”浦”や”津”は海に近い所だ。
地名の変更は合併だけでなく、住所表示の変更によっても起こった。1962年(昭和37年)郵便や新聞などの配達のしやすさ、そして1964年の東京オリンピックを控えて分かり易さなどを目的に、○丁目△△番××号制が施行された。この時も歴史的地名が多く消えた。例えば、東京都文京区の本郷は、夏目漱石、坪内逍遥、樋口一葉、池波正太郎など多くの文人が住んでいて、小説にも多くの町名が登場するが、真砂町、菊坂町、本富士町などが消え、みな本郷○丁目となった。現在文京区では由緒ある地名を残そうと、各地に旧町名の看板を掲げている。
当院の住所は東初富だが、明治になり東京の失業者救済のため政府は東葛地区と佐倉地区に原野開墾を行い、これに応募して6400人が入植した。開墾地は入植順に初富、二和、三咲、豊四季、五香、六実、七栄(富里)、八街、九美上(佐原)、十倉(富里)、十余一(白井)、十余二(柏)と付けられ現在も残されている。
梅雨の時期に入り、散歩も思うがままにいかなくなったら、地図を広げて紙上散歩や地名の由来を調べるのも頭の訓練に良いのかも知れない。