コーヒータイム(76) お賽銭
2024年10月1日
アドバイザー 加藤 洋男
ふと気が付いたら、我が家の本棚から辞書の類いが殆どなくなっていた。以前は国語辞典、漢和辞典、類語辞典、広辞苑(岩波書店発行)、英和・和英辞典などで、複数あるものもあり、はたまた分厚い家庭医学や生活百科の参考書等々が本棚のかなりの部分を占めていた。これらは必要に駆られて購入したものはもちろん、兄や先輩などから譲り受けたものもあり、その一冊ずつの歴史は多士済々だった。
文章を書いたり、雑誌や新聞などを読む時、辞書は必需品だった。先生から「辞書を小まめに引いていると、2~3枚めくると必要な箇所に行き当たる」と言われた。それほど辞書を引き馴れることが必要とされた。
文化勲章を受けた文豪井伏鱒二が若い頃、帰省した際母親から「お前小説を書いとるそうだが字を間違えんように字引を引かなならんぞ」と諭されたという。
三浦しをんによる「舟を編む」は2010年頃雑誌、単行本がヒットし、その後映画、アニメ、そして最近テレビでも放映された。広辞苑や大辞林のような大型の辞書の発行までの苦労が描かれたもので、いずれも好評だった。
今は亡き「櫂」などの作家宮尾登美子は、孤島に一つ持っていくとしたら「広辞苑」と言っていた。なるほど何度読んでもあきることはない。
最近は分からないことはインターネットで調べる。言語、知識はもちろん心配事でも何でもかんでも、簡単でかつ関連事項への横展開もし易く、電車内でもどこでもスマホさえあれば調べることが出来るので、辞書の必要性は殆どなくなった。このため我が家の本棚の片隅に、なぜか広辞苑のみが申し訳なさげにあるが、開くことはない。
まことに便利な時代になったと思う。しかし、インターネットも使いようで、例えば体調不良の時、知識のない身にもかかわらずインターネットで調べていろいろ深入りすると、どんどん不安が募ってくる。やはり医師に対峙して診断していただくことが精神衛生上も良好と思う。