コーヒータイム(8) 新入生

2013年4月1日
アドバイザー 加藤 洋男

桜の季節になると、真新しいスーツに身をつつんだ若者のグループが目につく。
社会人一年生の諸君である。明るい笑顔で、希望に満ちた新鮮な姿に、こちらまで気分がリフレッシュされる。 秋入学が検討されているが、季節だけで考えると卒業・入学・入社などは桜のこの時期が似合う。

企業等が新入者を迎える目的は、将来の人員構成のバランス維持や欠員補充もあろうが、“新しい血を入れる”ことに大きな意義があるのではないかと思う。
先日ある新聞に、作家の三浦哲郎が大学生の時、同人誌に習作を載せたら、当時60歳に近い大作家井伏鱒二が「君のあの一行に羨望を感じた。自分は書くことに苦戦していたが、あれを読んだら又書けそうになった。」と言ったという。若者の才能をまっすぐ敬う井伏の器の大きさに感心した、とあった。

企業等が永年繁栄を保つための条件の一つは、自由闊達に意見を交わす雰囲気があふれた風土だと言われる。人間の体と同様に常に新しい血が淀みなく流れているかどうかということだろう。
年齢・知識・経験などが豊富な先輩諸氏が、社会人としての経験などはないものの情熱と理想に満ちた若者の真っ直ぐな意見を聞いたり、取り入れたりする度量の有無は、そのキーポイントのように思う。

一方、新入者を入れることのできない企業等はどうだろうか。新人が入らないとしても繁栄条件は前述と変わらない。このためには、既存のメンバーが日頃の訓練で、新人に負けない新しい感覚を身につけて、自浄作用で補えることが出来ると思う。 60歳でも常に自己を磨いて新しい発想をすることで若手になり得るし、20歳でもそれがなければ若手とは言えないのではないだろうか。

いわゆる“年齢”は、1年ごとに確実に1歳ずつ増えていくが、肉体や精神の年齢は訓練で若返ることが出来る。 いずれの年代にあっても、いつも新しくきれいな血がスムーズに流れるよう、努力したいものである。

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