2013年6月1日
アドバイザー 加藤 洋男
いよいよ梅雨の季節になってきた。
関東地方の梅雨入りは6月8日頃、梅雨明けは 7月21日頃と予測されている。この時期はじめじめして、うっとうしい気分になるが、夏季の水を確保するためには適当な雨が必要で、やむを得ない。 童謡には、北原白秋作詞の「雨降り」、野口雨情作詞の「雨降りお月さん」、中山晋平作曲の「てるてる坊主」などがあるが、雨でも子供には楽しく過ごさせようという、 親心が生んだ歌なのかも知れない。
とはいえ、晴れの方が気分がよい。洗濯物や布団を干すのに晴れの日は実に気分爽快だ。
取り込んだ後のお陽様の臭いは健康的で気持ちがよい。娘たちが幼い頃「お布団がお陽様の臭いがするね」と言って喜んでいたことを思い起こす。 日本海側に住んだ後、太平洋側に引っ越したある人が、「太平洋側の住民は“太陽税” を払うべきだ」と言って皆を笑わせた。関東生まれの私は一瞬フイを突かれたが、 「なるほど」とその気持ちはよく分かる。
先日ある新聞に、人が幸せな場面で口にする言葉の代表格として、「見て、見て!」 だとあげていた。幼児が上空を飛ぶヘリコプターを見つけて母親に「見て、見て!」。 心弾ませる対象が視界にあって、その心の弾みを分かち合う誰かが側にいる。 そんなことが幸せではないか、とあった。先日孫と散歩をしていて全く同じ思いを経験した。 幼児でなくても夫婦、恋人、友人、仲間でも日の出・日の入りや虹や満天の星などに感動して、 それを共有できる人が側にいることは無意識の中の幸せなのかも知れない。
最近の空は、隕石の落下やPM2.5の塵、はたまたミサイル云々で、幸せの象徴から遠い要素が多く、落ち着かない。 没後100年を過ぎた石川啄木が「草にねて おもうことなし わが額(ぬか)に 糞して鳥は 空に遊べり」と詠んでいる。 空はぼうっと眺めるもので、落ちてくるのはせいぜい鳥の糞。平和とはそういうものだと言っている。 今年の春、花見でベンチに座っていたところ、鳩から糞を頭にかけられた。 「むむむむ!!」しかしここは啄木のいう、平和に感謝すべきかと、懸命に頭を拭いた。 とかくかまびすしい世の中だが、空を見上げて、誰かと感動や話題を共有することは心の健康に通じる意義のあることのようだ。
