(12)牡丹

zuiki

2020年 5月 1日
理事 德田 好美




牡丹散りてうちかさなりぬ二三片蕪村

庭の牡丹(ぼたん)が華やかな色どりを庭中に振りまいている。

コロナ禍で憂鬱な日が続いている。唯一の気休めは妻が育てている花達だが、中でも牡丹の存在感は群を抜いている。ボタンは中国の原産で、中国では花の王と呼ばれ、牡丹を題材にした有名画家も多い。私も何度か描いてみた(下・本人画)。

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四月下旬のある日朝起きてみるとボタンの(つぼみ)が大きく膨らんでいる。数日後には描けるかなとのんびり 構えていると、その日の昼にはもう直径10センチほどの大きさだ。慌ててスケッチを始める。花びらが見る間に開いて、1分後にはもう全く違う形になっている。

あの細い茎の、堅い蕾の、一体どこからこの花びら群は湧いてくるのだろう。次から次へと外の花びらを押し倒すように、あるいは内の花びらを誘い出すように多くの花びらが湧出し、最後には無数の花びらが我がところを得、直径30センチほどの大輪が完成する。

花だから、堅い蕾が膨らんで咲いて散っていくのは当たり前だが、目の前でその営みの姿を見ていると、その当たり前がきわめて神秘的だ。根も茎も枝も葉も、これら全てには花を咲かせ種子を生みはぐくむ為に、人智をはるかに超えた仕組みがある、種の保存のために神から与えられたその仕組みを、営々としかも真摯に受け継いでいる植物は、ある意味では人間よりはるか上位に位置するのではないか。

その神秘を、たかが花だと軽んじているとすれば人間の未来は怖い。