(19)パラリンピック

zuiki

2021年 9月 1日
理事 德田 好美




ふるさとは 九月の紺の海高き松本鬼南

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今年はオリンピックが東京で開催された。前回が1964年だから半世紀以上前のことで、その時私は華やかな開会式をじかに式場で参観することが出来た。が、今回はコロナ禍の中で、感染防止のためテレビのみでの観戦となった。
 オリンピックは既に終わったが、只今はパラリンピックが熱戦のさなかだ。今まであまり見たことがなかったので、手足や目や耳に障害のある人達の熱戦ぶりを、暇があれば楽しく見ている。

もともとパラスポーツは、怪我をした人のリハビリとしての側面が強かったのが、次第に競技スポーツへと発展し、88年のソウル大会から正式名称となって、今では健常者をしのぐような記録を出す選手もいる。ある選手の、その日常の修練をテレビで紹介していたが、それこそ健常者そこのけのものであった。義足や車椅子などの用具も進化しているだろうが、日常真摯に努力するその選手の姿には頭が下がる思いであった。某義足選手(走り幅跳びトップジャンパー)の脳をMRIで検査した結果、その選手の脳の「運動野(運動の命令を出す領域)」が通常人の倍あったという。義足を使いこなす技能を得るための鍛錬が、脳の潜在的な機能を引き出した可能性があるという。

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ところで、パラスポーツには、傷害の部位や程度によって、さまざまに区分けされている。その差異は、通常我々でも見分けがつく。が、中に「知的障害クラス」というのが1992年バルセロナ大会から導入されて、現在は、陸上、水泳、卓球にのみ適用されているようだ。
 パラスポーツを知れば知るほど、傷害を抱えた人々の真摯な努力と苦労が見えてくる。こういう機会に、世間の皆がその苦労と努力を直視して、できる限りの手を差し伸べていきたいものだ。