(26)自動運転

zuiki

2022年11月 1日
理事 德田 好美




文化の日 草冷えて人 なつかしげ中尾寿美子

先の9月連休が続いた週に、妻と娘夫婦四人で二泊三日の旅行に行った。
コロナ禍がなかなか終息を迎えないので、都会を離れ、箱根芦ノ湖方面を選んだ。筆者が現役の頃は、箱根にあった保養所を起点に、富士山の5合目あたりまで何度か足を運んだこともあるので慣れているはずだったが、久しぶりに山坂を上下してみると、タクシーを利用したにも拘らずひやりとする場面が何度かあった。
満喫した旅の余韻がまだ冷めやらぬ頃、その富士5合目に行く途中の坂道で、観光バスが横転、女性客一人が死亡し多数のけが人が出るという痛ましい事故が起きたと聞き、唖然とした。

zuiki26

このところ自動車メーカー各社は、自動運転車を一つの目玉として、(しのぎ)を削っているように見え、間もなくその実用車がお目見えするという報道がなされている。何と何を自動とするのか、その中で人の役割は何か、筆者はそれらの具体的な中身はまだ知らないが、先の観光バスの事故などを見るにつけ、果たして実用への道は正しいのか、頭をかしげざるを得ない。先の観光バスでは、事故を起こした運転手の証言に、途中から車のブレーキが利かなくなった、とある。そのことは出発してから事故直前までの間にバスの添乗員も聞き、運航会社に報告されていたという。ブレーキ故障の原因はともかく、これは十分考えられることだ。その他にも有人であったら<あれ?>と首をかしげることがいろいろとある筈だ。異常に気付きながら運転を続けた者の責任はもちろん重いが、これが自動運転だったら果たして防げたのだろうか?

 無人運転への危惧はいろいろと考えられるが、そのほかに、人の運転に対する練達の度合いが増さぬ(もしくは、車に対する理解度が未熟のまま過ぎる)ことが心配される。
人は、運転免許を取得しても暫くは<車>もしくは<運転>に対する理解度は十分でない。
経験を重ねながら、練度を高めていくものだ。(勿論それがいわゆる<慣れ>に留まってはいけないが……)
車社会に対する十分な配慮を切望して筆をおく。