健康アラカルト(137)利根川の物語

2026月5月1日
院長 大石 孝

現在の利根川は、群馬県みなかみ町を水源とし、前橋、高崎を通過し、埼玉県の県北部を西から東へと横断し、茨城県と千葉県の県境を流れて千葉県銚子市から太平洋へ注いでいる(右写真:河口付近)。総延長は約322㎞と信濃川に次いで日本で2番目に長く、流域面積では日本一である。この利根川は、徳川家康が江戸に入った当時は、荒川と埼玉県越谷付近で合流し、東京湾に注いでおり、「坂東太郎」の異名を持ち、「日本三大暴れ川」の1つで、氾濫が多いことで知られていた。そのため、関東平野は稲作に適さない土地となっていた。

家康は、伊奈忠次(左写真)に利根川水系の河川開発を命じた。それは荒川を利根川から切り離し、利根川を東京湾から銚子へと大きく迂回させる一大事業(利根川東遷)であった。これは、江戸を水害から守り、東北・北関東と江戸を結ぶ水上交通網を確立することが目的であったが、結果的に、周辺地域では新田開発も行われ、関東平野を一大穀倉地帯に変え、物流も効率化し、江戸100万都市の礎となり、ひいては現在の東京を中心とした関東の発展の土台を作ったと言える。この事業は忠次1代では完遂せず、親子3代・60年かけて伊奈一族が従事することになった。重機も車もドローンもない時代、これだけの事業を鍬や鋤を使って人力で行なったこと、川がきちんと流れるように勾配を作ること、地理を頭の中で俯瞰しながら、川の流れを変えるための緻密な計算も必要で、ちょっと考えただけでも簡単ではないことが分る。長い年月にわたり諦めない強い意志、忍耐力、統率力が無ければ成しえない業績である。伊奈忠次とその一族の功績は大きい。現在の、埼玉県伊奈町、茨城県の旧・伊奈町(現つくばみらい市)などに伊奈家の名が残っている。 伊奈氏は家康にとって、「居たら()()」程度の存在ではなく、居な(・・)くてはならない存在だったのである。 

さて、川の流れを変えるのも、病気の悪い流れを変えるのも、やはり本人の地道な努力次第ということになるのであろう。